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70's
(2023年 11月 15日 0時 05分 追加)
ビー・ジーズ
Bee Gees (7inch)/ 恋のナイト・フィーバー Night Fever / ダウン・ザ・ロード Down The Road
RSO DWQ 6053
1977年作品
1978年リリース
レコードの盤面の盤質は、良好です。
解説、歌詞が、あります。
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ディスコ期:1975年-1979年
1975年に芸能生活20周年記念アルバムでもある『メイン・コース』からシングルカットされた「ジャイヴ・トーキン」、「ブロードウェイの夜」がディスコブームに乗り、全米大ヒット。これよりディスコ時代の幕開けとなる。リズム主体のディスコなサウンドへと脱皮を図った彼らに対して、旧来のファンからは「売れるためにサウンドを変えた」と猛反発された。しかし以後も、ディスコ・ナンバーを中心とする路線を継続し、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」などの大ヒットを飛ばした。ディスコで大人気を誇っていたビージーズのナンバーを大きく取り入れた映画『サタデー・ナイト・フィーバー』[注 2]が、1977年に公開された。同作品はアメリカだけでなく、海外でも大成功し、アルバムも大ヒットとなった。アルバムからはビージーズの「ステイン・アライヴ」、「ナイト・フィーヴァー」、タバレスの「モア・ザン・ア・ウーマン」、イボンヌ・エリマンの「イフ・アイ・キャント・ハヴ・ユー」などがヒットした。
「ステイン・アライヴ」(Stayin' Alive)は、ポップ・グループのビージーズの楽曲である。メンバーのギブ三兄弟が制作し、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックから2枚目のシングルとして、1977年12月13日に発売された。
1978年2月4日から、全米シングルチャートで4週連続1位を記録した[2]。また、2021年に発表された『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』において、99位にランクイン [3]。
ビージーズのマネージャーであるロバート・スティッグウッドは、彼が計画している映画のために曲を制作するようビージーズへ要請した[1]。まだ、この時点では映画は初期段階で、名前もついていなかった。ビージーズは、パリのスタジオで数日の間で「ステイン・アライヴ」を制作した。なお、有名なサウンドトラックは当時、税金対策のためフランスで録音されているものが多かった。
ドラマーのデニス・ブライオンの母親がセッションの最中に亡くなったため、ビージーズは代替メンバーを探した。しかし、フランスのこの地域で代わりのドラマーが見つからず、ドラムマシーンを使用することになったが、グループにはまだ満足できなかった。そこで、デニス・ブライオンの演奏ですでに録音された「恋のナイト・フィーバー」のドラムトラックを聴いた後、グループとエンジニアのアルビー・ガルテンは、その曲の2小節を別々のトラックに再録音(いわゆるドラムループ)し、「ステイン・アライヴ」のセッションで使用した。これが、この曲全体を通して変わらないリズムとなっている。
なお、グループはジョークとしてこの曲のドラマーのクレジットを"Bernard Lupe"(セッションドラマーとして知られるバーナード・パーディーの名前をもじったもの)としたが、このドラマーが実在しないことが判明するまで、このドラマーが何者かということについてしばし話題となっていた。
日本では、2008年にホンダ・オデッセイ(4代目)のCMソングに起用された。また、NHK Eテレで放送されていた『ハッチポッチステーション』では、グッチ裕三が童謡「クラリネットをこわしちゃった」と合体した形で歌唱した[4]。
サタデー・ナイト・フィーバー
この曲は、当初シングルとして発売される予定はなかった。しかし、ラジオ局にリクエストが殺到したこともあり、サタデー・ナイト・フィーバーのサウンドトラック発売の1ヶ月後である1977年12月中旬にリリースされ、翌年2月には全米シングルチャートで1位を記録し、そのまま4週間滞在した。しかし、イギリスでは全英シングルチャートで最高4位を記録するのにとどまった[5]。
1978年は、ビージーズの年だった。「ステイン・アライヴ」から1位の座を奪ったのは、彼らの弟であるアンディ・ギブの「愛の面影」であり、その次に1位となったのはビージーズ自身の「恋のナイト・フィーバー」だった。その次に1位となったイヴォンヌ・エリマンの「アイ・キャント・ハブ・ユー」も含めて、4曲すべてバリー・ギブが制作した曲である。
音楽と映画を融合した本作は1960年代ディスコブームの再燃を到来させ、劇中に挿入されたビー・ジーズ(BEE GEES)のディスコ・サウンドによるフィーバー現象は、現在のダンス・ミュージックへつながる。映画を製作したRSOはその年の総売上は3兆5000億円と公表した[3]。
RSOのロバート・スティッグウッドは土曜日の夜にディスコに集まる若者たちを取材した雑誌の風俗記事[注釈 1]を題材に、主演は新人のトラボルタ、監督はテレビ劇映画出身のバダムを選んだ。ラジオ局で繰り返し曲を流してブームの火をつける当時の鉄則を踏んだのも、レコード会社を経営していたスティッグウッドである。RSOやカサブランカ・レコードなど異色のレーベルが元気な70年代のヒット作でもある。
ビージーズを含めたサウンドトラック『サタデー・ナイト・フィーバー』が24週1位となって以来、『フラッシュダンス』『フットルース』『ダーティダンシング』など80年代ダンス映画のサウンドトラックがヒットする現象が生まれた。
映画は『サタデーナイト』という題で企画が転がり始めた。ベイ・シティ・ローラーズが76年に サタデー・ナイトをヒットさせていたため、ビージーズは映画用の曲の一つに『ナイトフィーバー』と名付けた。スティッグウッドは映画を『サタデーナイトフィーバー』に変更させた。
1970年代のアメリカ社会を背景に、「行き場のない青春のエネルギー」をディスコで踊ることで晴らす惰性の生活を送っていたジョン・トラボルタ演ずる青年トニーが、ディスコで出会った女ステファニーの生き方に心を開かれ、新しい生活へ目覚めて大人へ脱皮していくさまを描く。週末ごとに行くディスコが主な舞台の映画。
裕福な住人も多い華やかな都会的なマンハッタンと、ブルックリン橋を渡ったらすぐの位置にある、労働者の街であるブルックリンとが対比して描かれており、単なる娯楽映画ではなく当時のアメリカの格差社会を風刺した映画でもある。
この映画の「トラボルタ」の風貌や決めポーズ、映画に使われたディスコ・ミュージックが世界的に人気になり、ディスコ文化を取り巻くファッションやサブカルチャーといった世界の若者文化に大きな影響を与えた。
赤い牛のロゴ、RSOレコードを率いたロバート・スティッグウッドの戦略が嵌まり、映画のサウンドトラック『サタデー・ナイト・フィーバー』は驚異的な売上を記録し、なかでも作中で「ステイン・アライヴ」などBillboard Hot 100 1位6曲を含む7曲を提供したビージーズはその人気を不動のものにした。
(2023年 11月 15日 0時 05分 追加)
A | Night Fever Written-By B.-R.-M.Gibb* Written-By B.-R.-M.Gibb* | 3:30 | |
B | Down The Road | 4:18 |
- 販売 Polydor K.K.
- 製造元 Polydor K.K. KI 7806
- 音源著作権 RSO Records, Inc.
- ライセンス付与 RSO Records, Inc.
- 制作委託元 Karlbhy Productions
- 制作委託元 The Robert Stigwood Organisation
- Producer Albhy Galuten, The Bee Gees*, Karl Richardson
Stereo.